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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)2239号 判決

原告

カール オーバチック

右訴訟代理人弁護士

高田勇

被告

インターナショナルランゲージサービス株式会社

右代表者代表取締役

樹下雅生

右訴訟代理人弁護士

平栗勲

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、原告に対し、昭和五二年一月一九日なした解雇は、無効であることを確認する。

2  被告は原告に対し、金二二二四万八〇〇〇円及び内金二〇五二万円に対する昭和五五年四月八日から、内金一七二万八〇〇〇円に対する昭和五六年一二月二三日から支払済までそれぞれ年五分の割合による各金員を支払え。

3  被告は原告に対し、昭和五五年四月から毎月末日限り金五四万円を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  右2、3について仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者及び雇傭契約

被告は、一般旅行業者及び旅行代理店業の登録認可をうけ、主として、アメリカ(以下米国という。)カリフォルニア州立の大学へ、日本人学生を留学研修させることの斡旋を業とする会社である(以下被告を適宜被告会社という。)。

原告は、日本国籍を有し、米国の肩書住所地(略)に在住していたものであるところ、原告と被告会社は、昭和五〇年一一月一日、被告会社代表者樹下雅生の日本からの国際電話による申込みに基づいて、左記内容の雇傭契約を締結した。

(一) 原告は、米国内における被告会社の最高統括責任者として、カリフォルニア州立大学各校における被告会社の業務担当者に対する監督、管理、被告会社に必要な米国内情報の提供、被告会社の指示による宿泊、旅行の手配、新企画の開発等を担当する。

(二) 給与は、当分の間、米国ドルで月一〇〇〇ドルとし、毎月末日に、米国内でドル建てで支払う。但し、給与額は、双方合意の上で、いつでも改訂できるものとする。

なお、右雇傭契約締結後しばらくして後、原被告間において、月一〇〇〇ドルの給与は、正味手取額であり、源泉税は、被告会社の負担とすること、及び、原告が被告会社の取締役の名称を使用してもよい旨の合意がなされた。

(三) 原告が出張の必要があるときは、被告会社の社内規定に基づく出張手当(米国内の場合は一日について四〇ドル)の支給を受ける。

(四) 原告は、被告会社に対し、被告会社のサンフランシスコ事務所として、原告の住居の一部を賃貸する。賃料額については取り決めがなかったが、米国内の賃料相場から月額二〇〇ドルが相当である。

2  雇傭契約の変更

原告は、米国における被告会社の最高責任者であったところ、被告会社が、昭和五一年七月ころから、原告に通知又は了解なく、ロングビーチ校に事務所を増設したり、日本から人材を勝手に派遣して、米国内における原告の管理、監督を困難にしたり、あるいは、原告の就職時から問題になっていたロングビーチ校の担当者エラヘバハダット女史が、被告会社の米国における最高責任者であるが如き言動をしたのに、何らの適切な処置をとらなかったりしたために、米国内における原告の管理、責任体制を充分に果たすことが不可能であると判断し、原告は、昭和五一年九月一七日、被告会社に対し、テレックスで退職の意思を表明した。

ところが、被告会社は、原告の右退職の意思表明に対して、原告に積極的な慰留工作をなし、同月二五日ころと同年一〇月一〇日及び同月一一日の三回に亘り、原告と話し合った結果、原被告間において、前記雇傭契約を、左記のとおり、変更することに合意した。

(一) 原告は、従来していた被告会社の一般業務、すなわち、バス及びホテルの手配、各大学当局との交渉等の業務から手を引くが、被告会社の米国における最高責任者である地位に変更はなく、被告会社が、今後企画する新しい業務(カセットテープの販売等)を担当する。

(二) 従来の給与月額一〇〇〇ドルは、原告の労働力の長さ、その責任の重さからして、安すぎるので、月額二〇〇〇ドル(正味の手取額であり、源泉税は、被告会社の負担)とし、右昇給の時期は、原告を雇傭した当初に遡って支給するものとし、原告は、手持ちの被告会社名義の預金口座から、直ちに、預金を引き出して右給料を取得できるものとする。なお、これに伴い、従来、被告会社が雇傭していた原告の妻嘉津子オーバチック(月給八〇〇ドル)は、被告会社から退職するものとする。

(三) 被告会社は、従来、大学当局及び米国内の被告会社の従業員に対し、原告は、被告会社の仕事から離れたと意思表明をしていたので、原告の被告会社内における地位に変動がないことを周知せしめるため、近日中に会合を持ち、被告代表者から、被告会社従業員に対し、右趣旨を伝達し、今後の原告の米国内における行動に支障がないようにする。

(四) 従来、ホテル、バス等の支払については、原告の管理する被告会社名義の口座から支払っていたが、原告の担当業務の変更に伴い、右支払は、すべて日本から、被告会社が直接支払うものとし、原告の給与の支払、及び、サンフランシスコの事務所(原告の自宅)の各支払は、日本から、原告の保管する被告会社名義の口座に送金することによってなすものとする。

(五) 原告は、被告会社の取締役に就任し、被告会社は、日本国内で、直ちに右取締役就任の手続をとる。

また、被告会社は、原告に対し、被告会社の株式三〇〇株を、無償で与え、この株式払込の資金は、給与とは別に、原告に与えられる役員報酬のなかから払込む。

3  賃金計算等

(一) 原告は、被告会社から、昭和五二年一月分までの給与の支払を受けたが、同年二月以降の給与の支払を受けていない。同年二月から昭和五五年三月までの原告に対する未払賃金の総額は、米国ドルで七万六〇〇〇ドルになるところ、右期間の為替レートは、一ドル金二七〇円であったから、右未払賃金の総額は、金二〇五二万円である。

(二) 原告は、被告会社の業務のために、昭和五〇年一一月から同五一年八月にかけて、各大学キャンパス等に、合計八五日間出張した。右出張手当の総額は、米国ドルで三四〇〇ドル、日本円で金九一万八〇〇〇円(一ドル金二七〇円)になる。

(三) 原告は、被告会社に対し、昭和五〇年一一月から同五二年一月までの一五か月間、原告の住宅の一部を賃貸した。右賃料の総額は、米国ドルで合計三〇〇〇ドル、日本円で金八一万円(一ドル金二七〇円)になる。

4  被告会社は、昭和五二年一月一九日、原告を有効に解雇したとして、その賃金を支払わないので、原告は、被告会社との間で、被告会社が、原告に対してなした昭和五二年一月一九日付解雇の無効の確認を求め、被告会社に対し、昭和五二年二月から同五五年三月までの給与合計金二〇五二万円、前記出張手当合計金九一万八〇〇〇円、前記賃料合計金八一万円(総計金二二二四万八〇〇〇円)及び給与金二〇五二万円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五五年四月八日から、出張手当と賃料の合計金一七二万八〇〇〇円に対する原告の昭和五六年一二月二二日付請求の趣旨拡張の申立書送達の日の翌日である同五六年一二月二三日から、それぞれ支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、並びに、同五五年四月から毎月末日限り、月額金五四万円の割合による賃金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、被告会社が原告主張の業務をなす株式会社であること、昭和五〇年一一月一日、原被告間で雇傭契約が締結されたこと、及び、右契約内容のうち、原告が、米国内での被告会社の業務の統括責任者であり、その給与の月額が一〇〇〇ドルであった事実は認めるが、その余の契約内容の事実は否認する。

2  同2の事実中、原告が昭和五一年九月一七日被告会社に対し退職の意思を表明したこと、これに対して被告代表者が原告と同年九月二五日ころと一〇月一〇日及び同月一一日の三回に亘り、話し合ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

3  同3(一)の事実中、原告が昭和五二年一月分までの給与の支払を受けていること(但し、後述するように不当領得分が存する)、同年二月以降は給与の支払を受けていないことは認めるが、当時の為替レートは不知、その余は争う。

4  同3(二)の事実は争う。

5  同3(三)の事実中、原告が、原告主張の期間、原告の住居の一部で仕事をしていたことは認めるが、その余は争う。

6  同4は争う。

三  抗弁及び被告の主張

1  被告会社は、昭和五二年一月一九日、原告に対し、解雇する旨の意思表示をなし、右意思表示は、同日原告に到達した。

2  本件解雇の理由は、左のとおりである。

(一) 原告の金銭上の不正行為

(1) 被告会社は、昭和四五年ころから、米国カリフォルニア州立大学と提携して、日本で留学生を募集し、同大学に留学させる留学プログラム、及び、その後開発された短期家庭滞在プログラム(ホームステイ)を運営していたところ、昭和五〇年一一月一日、原告を、米国内での業務の統括責任者として雇傭し、米国内における被告会社従業員の給与、その他諸経費(特に留学生のためのホテル代、バス交通費など)については、予じめ原告に預託されていた資金から支弁させるシステムになっていた。

(2) 原告のホテル代・バス代支払義務違反

原告は、被告会社から、昭和五一年五月以降同年九月までの間に、合計一四万四一〇〇ドルの資金を受領し、これをアメリカ銀行サンフランシスコ本店に開設された「カール・オーバチック・リングウィスティック・ILS・USA」という名義の当座預金口座に入金保管していた(以下適宜ILS資金という。)。そして、右資金から被告会社のためになされる必要な支払は、原告が保管していた小切手を振出してなされていたところ、右資金の残金として、

同年八月末日

三万二六〇五・九四ドル

同年九月末日

二万八〇九三・六九ドル

同年一〇月末日

二万〇一九九・七ドル

が存在した(但し、九月末日のものは、後述する原告の二万八〇〇〇ドル不正引出の点は除く。)

ところが、原告は、右資金によって、被告会社のために当然支払うべき左記ホテル、バス代について、故意に、その支払時期までに、支払をしなかった。

(ア) ロスアンゼルス市在のアンバサダーホテル

ホテル代金

一万二七〇五・五ドル

支払時期

請求書受領後三〇日以内

(イ) サンフランシスコ市在のPSAホテル

ホテル代金

三二七九・〇四ドル

支払時期

宿泊者の到着時

(ウ) ホリデーラインバス会社

バス代金

四三八八・三八ドル

支払時期

請求書受領後三〇日以内

これらの各利用代金等は、遅くとも、昭和五一年九月末または一〇月末までに支払われるべきものであったが、原告は、前記のとおり、被告会社から、充分な資金の送金を受け、これを被告会社のため、保管しており、かつ、各取引先からも支払の督促が再三あったにもかかわらず、その支払を、故意にしなかった。そこで、被告会社は、その後、昭和五二年三月、右各取引先に対し、直接右各利用代金等を支払った。

(3) 保管金の不当領得行為

(ア) 原告の給与は、その雇傭契約時に、毎月一〇〇〇ドルと定められていたが、原告は、昭和五一年一〇月頃、同月分から、その給与が二〇〇〇ドルに増額されたとして、右昭和五一年一〇月から解雇に至る同五二年一月までの間、被告会社の承諾もなく一方的に、本来支給されるべき毎月一〇〇〇ドルづつの給与以外に、さらに一〇〇〇ドルを加えた合計二〇〇〇ドルを、前記預託資金から不当に引出して、これを自己のため領得してきた。原告は、さらに、右増額は、雇傭時に遡って適用されるとして、昭和五二年一月、前記預託資金から一万二〇〇〇ドルを引出して自己のため領得した。

(イ) 被告会社の従業員である原告の妻嘉津子の給与は、他のキャンパスレップなみ(多くても月三〇〇ドル)とする約定であり、現に昭和五一年六月分までの右嘉津子の給与は、毎月三〇〇ドルであったところ、原告は、右嘉津子に対し、昭和五一年七月分から同女が退職する同年一一月分まで、その給与を一挙に毎月八〇〇ドルに増額して支払った。また、原告の弟ウイリアム・オーバチックも、一時被告会社に勤務していたことがあるが、原告は、その給与の支払についても、不当に高額な給与を支払って自己の身内に有利な取扱いをした。

(ウ) 原告は、昭和五一年九月一八日、突然退職の意思を表明したが、その直後である同月三〇日に、その時点で残っていた前記ILS資金二万八九四六・七八ドルのうちの二万八〇〇〇ドルを、一度に、自己宛小切手(内訳は額面九五〇〇ドル二枚及び額面四五〇〇ドル二枚)を振り出して支払を受けている(〈証拠略〉)。そして、原告は、このような形での支払は、余りにもその意図が露骨であり、得策ではないと考えたためか、同年一〇月一八日に、同額のドルが右資金の口座に入金されている。

(エ) 原告は、随時、現金勘定と称して、五〇ドルとか一〇〇ドルといった金銭を、前記ILS資金から自己宛小切手を振出して支払を受け、自己の用途に費消していた。すなわち、被告会社から取引先への支払は、すべて当該取引先を名宛人として小切手を振り出して支払われるのであるから、ILSプログラムの経費の大部分は、このような形で支払われ、仮に別途現金で支払うことがあるとしても、極めて少ないはずであるにもかかわらず、毎月のように相当多額の金銭が引き出されている。しかも、原告は、昭和五一年一〇月以降は被告会社の仕事に全くたづさわらず、その経費を必要としなくなった後も、約五〇〇ドル引き出している。

(二) 取引先に対する信用失墜行為

原告は、前記(一)(2)に記載したとおりアンバサダーホテル、PSAホテル及びホリデーラインバスに対する各支払を怠ったことにより、右取引先に対する信用を著しく失墜させた。

すなわち右ホテル、バス会社は、いずれもカリフォルニア州内での有力なホテル、バス会社であり、特にアンバサダーホテルは、被告会社代表者が、米国内で旅行業を営み始めたころからの長い取引先である。また、PSAホテルも、米国内に広い航空網を持つPSA航空会社の系列ホテルであり、旅行業者にとって重要な取引先である。旅行業者にとっては、顧客からの旅行注文を受け、ホテル、交通機関との間で予約をなし、これによる手数料収入を得ることが重要な営業内容であるが、このような旅行業者にとって、何はともあれ、ホテル、交通機関への支払は確実に済ませておくことが肝要である。特に、カリフォルニア州のホテル業界では、ホテル代等を長期間支払わない悪質業者については、ブラックリストも作成、業界内部で回覧され、料金を踏み倒すおそれのある悪質業者は、閉め出されることもある。被告会社も、原告の支払義務違反のために、危く右ブラックリストに登載され、カリフォルニア州内で営業ができなくなるという致命的な結果さえ拒来するところであって、事実、昭和五一年一二月ころには、アンバサダーホテルから、一時被告会社の留学生の予約受付を拒絶されたことがあり、予約受付再開後も、代金前納を要求されるようになったのである。

(三) 以上のように、原告には、金銭上の不正行為や、取引先に対する信用失墜行為があったので、被告会社は、やむなく原告を即時解雇したものであるから、本件解雇は正当であって、有効である。

3  出張手当の請求について

仮に、原告が昭和五〇年一一月から同五一年八月にかけての出張について、出張手当を受ける権利があったとしても、原告は、前記の通り、ILS資金から本来受けるべき給与以外に自己宛小切手を振出して毎月のように多額の現金を引き出しているのであるから、これにより右出張手当は充分補われ、弁済充当されていたはずである。

4  事務所の賃料請求について

被告会社は、当初、原告の住居の一部を、被告会社のサンフランシスコ事務所として、使用することに反対していたのであるが、原告の強い要望により、原告の便宜を図り、その仕事をし易くするため、やむなくこれを認めるに至ったものであって、これにより、原告は、通勤の手間がなくなり、自宅でその仕事ができることになって、極めて好都合であったのである。したがって、右は、本来、被告会社の営業のために、原告の住居の一部を使用したというよりも、原告の便宜のために、その居宅で仕事をすることを認めたものであって、法律的には、賃貸借ではなく使用貸借であるから、被告会社には、原告主張の賃料の支払義務はない。

仮に、被告会社に原告主張の賃料支払義務があったとしても、前述の通り、ILS資金から本来受けるべき給与以外に、自己宛の小切手を振出して、毎月多額の現金を引出していたから、これにより、右賃料は、弁済充当されていたものである。

四  抗弁及び被告の主張に対する認否

1  抗弁及び被告の主張のうち、1の事実は認める。

2  同2(一)(1)の事実は認める。

同2(一)(2)の事実中、原告が被告会社から、昭和五一年五月から同年九月までに、合計一四万四一〇〇ドルを受領し、これを、被告主張の当座預金口座に入金保管していたこと、原告がアンバサダーホテル、PSAホテル及びホリデーラインバス会社に対してホテル又はバス代金を支払わなかったこと、右各代金は、被告会社が昭和五二年三月に支払をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

但し、昭和五一年一〇月末日当時のアンバサダーホテルの債権額は一万一九〇二・一五ドル、ホリデーラインバス会社の債権額は六〇九八・七八ドルであった。

3  同2(一)(3)(ア)の事実中、原告が昭和五一年一〇月分以降、その給与として、ILS資金から、月二〇〇〇ドルの払出を受けていたこと、昭和五二年一月にILS資金から同五〇年一一月から一二か月分のバックペイとして一万二〇〇〇ドルを引出したことは認めるが、その余の事実は否認する。

4  同2(一)(3)(イ)の事実中、原告の妻嘉津子に対し、その給与として、昭和五一年七月分から月額八〇〇ドル宛支払われていたこと、及び、ウイリアムオーバチックに対し給与が支払われていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

5  同2(一)(3)(ウ)(エ)は争う。

6  同(二)(三)の事実は争う。

7  同3 4は争う。

五  原告の反論

1  債権者に対する支払について

(一) アンバサダーホテル、ホリデーラインバス会社等債権者に対する支払が、請求書受領後三〇日以内というのは債権者側の原則であったが、原告と右債権者との間には、月末締切り、翌々月一〇日払という例外的措置が右債権者のセールスマンとの間でなされていたところ、昭和五一年六、七月ころまでの支払は、右例外的措置による方法で実行されていたもので(〈証拠略〉)、むしろ被告会社の都合で支払が遅れたことも多かった(〈証拠略〉)。

(二) 一〇月一〇日時点での未払の理由

(1) 被告会社は、原告を雇傭した後、原告に資金を預託していたが、その資金は、被告会社のサンフランシスコの事務所維持費、バス、ホテル代等の支払い、ホームステイの費用として、預託を受けていたのである。

一方、留学生の各大学における授業料等の支払いは、各大学から、直接日本の被告会社宛に請求書が送付され、これに基づいて、被告会社が、日本で外貨を得て、各大学に直接送金して支払っていたのである。

ところが、各大学の口座開設の期日が近づき、かつ、各大学に対する授業料等の支払期日を経過しても、被告会社は、日本から、右支払に充てる資金を送付しなかったので、原告は、その手持資金のなかから、

(ア) 昭和五一年七月二三日、サンホセ校に対し、二万七五〇〇ドルを、

(イ) 昭和五一年七月二六日、ノースリッジ校に対し、二万五〇〇〇ドルを、同年八月五日、右同校に対し、五五〇〇ドルを、

それぞれ立替え支払った。

その後、被告会社は、原告に対し、昭和五一年八月五日に、サンホセ校関係の立替金二万七五〇〇ドルを返還し、また、同年八月二〇日に、ノースリッジ校関係の立替金のうち五五〇〇ドルを返還したが、その余の二万五〇〇〇ドルの立替金の返還をしなかったので、原告において、各債権者に対する弁済が不可能となったところ、その後、昭和五一年一〇月一〇日、一一日に、原被告間で成立した合意により、被告会社において、右原告の立替えた立替金を返還しない場合には、被告会社が、直接日本から、各債権者に送金して支払う旨の合意が成立した。

(2) 次に、原告にとっても、被告会社にとっても、昭和五一年七月及び同年八月は、アメリカ合衆国建国二〇〇年祭にあたり、多忙を極めており、来客の応待に時間をとられ、諸雑事も多く、請求書等の整理をする時間的余裕が少なかったため、かなりの期日の遅れがあり、他方、原告にとっては、自らの一身上の問題、すなわち、退職のテレックス、これに伴う被告代表者との数回にわたる会談等の間、自ら身分が不安定な状態であり、外部に向けて種々の活動が出来る状態ではなかった。

(3) その後、原告と被告代表者は、数回の会合をなし、その結果、原被告間に、請求原因2に主張の合意(昇給、バックペイ及び債権者に対する支払方法の変更)が成立したところ、これに基づき、原告の保管する手持資金から、まず、バックペイ分を取得すると、各債権者に対して支払うべき資金が不足し、かつ、各債権者に対しては、被告会社が、日本から直接送金して支払うとのことであったので、右合意の後に、原告が支払をなせば二重払になる危険性があった。

なお、原告が、右バックペイを含む昇給分の支払を確保する措置に出ることは、被告会社が、過去において、原告に対する債務を、再三再四、不履行したところから、充分に合理性のあることであって、これをもって、原告を非難することはできない。

(4) さらに、昭和五一年一〇月末日現在の原告の管理する前記ILS資金は、二万〇一九四・七ドルであったところ、これに対して、被告会社の支払うべき未払の債務額は、

ホリデーラインバス

六〇九八・七八ドル

アンバサダーホテル

一万一九〇二・一五ドル

PSAホテル

三二七九・〇四ドル

ウイリアルライオンズ

九六二・二六ドル

ITT分

八九六・四一ドル

の合計二万三一三八・六四ドルであったから、原告の保管する手元資金では充分支払のできない状態であった。

(5) 以上のような諸事情から、原告は、被告会社主張のアンバサダーホテル、PSAホテル、ホリデーラインバス会社に対する被告会社の各債務の支払をしなかったのであるから、右債務不支払の事実をとらえて、原告を解雇することはできないものというべきである。

2  原告と被告代表者との会談について

(一) 原告は、被告会社に対し、昭和五一年九月一八日退職の意思を表明するテレックスを送った後、訪米中の被告会社代表者と連絡をとり、同月二五日ころ、ヒルトンホテルで、被告会社代表者と会談の機会を持つに至った。

(二) ヒルトンホテルでの会談

右ヒルトンホテルでの会談は、原告、原告の妻及び被告会社代表者の三人の間において、約三時間位行なわれた。右会談の雰囲気は、一方的に、原告が不平、不満を述べたのに対し、被告会社の代表者は、専ら聞き役にまわり、原告をなだめるという状態であった。話の内容は、原告が被告会社内にとどまることを前提とし、被告会社代表者から、原告の従来の労働に対し、感謝と原告の給与を月一五〇〇ドルに昇給させる申入れや、原告が被告会社の日常の業務から手を引き、新しい企画に従事して欲しい旨の要望があり、これらの点については、合意には達しなかったが、原告の株式取得の要求、役員に昇任の要求、及び、従来通り被告会社における米国の代表者である地位は不変更であることについては、一応のまとまりをみせ、さらに後日、詳しく話し合うことになった。

(三) 原告方自宅での会談

右ヒルトンホテルでの会談の後、原告、原告の妻及び被告会社代表者は、さらに、同年一〇月一〇日と同月一一日の両日、いずれも五、六時間にわたって話し合い、その結果、原被告は、請求原因2に記載のとおりの合意に達したものである。その後、原告、原告の妻と被告会社代表者は、レストランで仲良く会食をし、さらに被告会社代表者の車で送ってもらう等の親密な状態になった。そして、原告は、右合意内容について、同月一二日付で書面を作成し、被告会社代表者に対し米国内で交付する予定であったが、諸々の事情からそれが遅れ、同年一二月一七日になって、被告会社に対し、右書面を発送したところ、同月二四日、被告会社代表者からの返信により、右合意内容を否定されて、驚いたのである。

(四) 以上要するに、原告は、昭和五一年九月二五日頃同年一〇月一〇日、一一日の被告会社との各会談に先立ち、被告会社に対し、明確に金銭の要求をなし(〈証拠略〉)、右会談における主導権は、原告が握っていたこと、原告は、右会談の結果に満足しており、右合意の内容を記載した(証拠略)の書面は、被告会社が原告を解雇する以前に、被告会社に到達していること等の諸事実に照らしてみると、原被告間において、請求原因2に記載の通りの合意が成立したことは、明らかというべきである。

(五) 仮に、原告と被告会社代表者との前記会談において、請求原因2に記載の如き明確な合意(契約)がなされなかったとしても、右会談において、右合意に近い相応の合意点に達しているものというところ、右相応の合意点がある以上、原告主張の事実をもって、原告を解雇することは、不当である。

六  原告の反論に対する認否

1  原告の反論1(一)の事実は否認する。なお、原告と各債権者との間で、債権の支払に関し、原告主張の如き、例外的措置をとる合意が成立したことはない。

2  同1(二)は争う。原告は、ノースリッジ校に対して二万五〇〇〇ドル立替えて支払ったと主張しているが、これは、被告会社のILS資金から支払ったものにすぎないのであって、原告自身の金銭をもって支払ったのではなく、しかも、当時、他の債権者に支払う資金は、充分あったから、右ノースリッジ校に対する支払をもって、他の取引先への支払を停止する正当な理由にはなりえない。

3  同2は争う。

4  昭和五一年九月二五日頃と、同年一〇月一〇日及び同月一一日における原告と被告会社代表者との会談において、原被告間に、原告主張の如き合意が成立したことはない。

すなわち、被告会社は、昭和五一年九月一七日、原告から、被告会社を退職したい旨の意思表示を受けて、驚くと共に、原告に対する深い疑惑の念を抱くようになり、その後、被告会社代表者がアメリカに行った際に、原告がこれを出迎えようともしなかったので、被告会社は、原告に対する信頼を、益々失った。したがって、昭和五一年一〇月一〇日及び一一日における原告と被告会社代表者との会談でも、被告会社側は、原告に対し、早急に経理の清算をさせ、原告が、円満に被告会社を退職することに腐心をしていたのであって、当時、原被告間に、原告主張の如き合意の成立する筈はない。なお、原告の給与を月額二〇〇〇ドルにするという合意のなかったことは、当時、右月額二〇〇〇ドルの給与額は、被告会社の代表者やその他の役員の給与と比較しても、破格の高額であったところからも明らかである。

第三証拠(略)

理由

一  被告会社は、一般旅行業者及び旅行代理店業の登録認可を受け、主として、米国カリフォルニア州立の大学へ、日本人学生を留学研修させることの斡旋を業とする会社であること、原告と被告会社は、昭和五〇年一一月一日、雇傭契約を締結したこと、右雇傭契約において、原告は、米国内における被告会社の最高統括責任者とされ、その給与は、当分の間、米国ドルで月一〇〇〇ドルとされたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

そして、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、被告会社は、昭和四五年ころから、米国カリフォルニア州立大学と提携して、日本で留学生を募集し、同大学に留学させる留学プログラム、及び、その後開発された短期家庭滞在プログラム(ホームステイ)を運営していたところ、同五〇年一一月一日、原告を米国内での業務の最高統括責任者として雇傭したこと、右雇傭契約においては、原告は、右最高統括責任者として、カリフォルニア州立大学等の責任者と接触、交渉し、また、被告会社の米国における全体のプログラム遂行の管理監督、被告会社の指示による宿泊や旅行の手配、その費用の支払い、新規の企画の開発等の業務を担当すること、また、原告の給与は、月額一〇〇〇ドルとし、毎月末日、米国において、米国ドル建てで支払うものとし、なお、右給与額は、双方、合意の上、何時でも改訂することができること等が、その内容とされていたこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  雇傭契約の内容の変更の有無

1  原告は、昭和五一年九月二五日ころ、サンフランシスコのヒルトンホテルにおいて、また、同年一〇月一〇日と一一日、原告の自宅において、被告会社代表者と会談した結果、原被告間において、原告主張の請求原因2に記載のとおり、原告は、被告会社の一般業務から手を引くが、最高責任者の地位には変更なく、また原告の給与を月額二〇〇〇ドルに増額し、右増額にかかる給与は、原告の雇傭時に遡って支給すること、被告会社の支払うべきホテル代、バス代等は、すべて、日本から直接米国の債権者に送金して支払うこと等の合意が成立したと主張しているところ、原告が、昭和五一年九月一七日、被告会社に対し、退職の意思を表明したこと、これに対して被告会社代表者が、同年九月二五日ころと一〇月一〇日及び同月一一日に、原告と会って話し合ったことは、当事者間に争いがなく、また、(証拠略)には、原告と被告会社との右話合いにおいて、原被告間に、原告主張の合意が成立したとの事実に副う趣旨の記載及び供述がある。

しかしながら、(ア)(証拠略)は、原告が一方的に作成してこれを被告会社に送ったものであるから、後記(イ)の事情及び後記2の冒頭に掲記の各証拠に照らして考えると、(証拠略)の各記載内容から、直ちに、原告主張の合意が成立したものと認めることはできない。(イ)また、(証拠略)によれば、昭和五一年一〇月当時の被告会社の代表者の給与は、日本円で、月額金三七万七〇〇〇円であって、これを、原告主張の当時の為替レート一ドル金二七〇円で換算すると、一三九六・二ドル余となり、原告が増額されたと主張する月額二〇〇〇ドルよりも、かなり低いこと、しかも、原告主張の如き合意を記載した契約書等は、これまでに全く作成されていないことが認められるし、また、被告会社が、昭和五〇年一一月、原告を雇入れるに際し、その給与を月額一〇〇〇ドルとしながら、その後一年も経過しない昭和五一年一〇月に、右原告の給与を、一挙に二倍の月額二〇〇〇ドルとし、しかも、これを、その雇傭の当初に遡って支払うというようなことは、経験則上特段の事情がない限り、たやすく認め難いことであるというべきところ、本件においては、右特段の事情を認めることはできないのであって、以上の諸事実に、後記2の冒頭に掲記の各証拠に照らして考えると、前記原告の主張事実に副う(証拠略)は、たやすく信用できず、他に右原告の主張事実を認め得る的確な証拠はない。

もっとも、原告は、昭和五一年九月二五日、同年一〇月一〇日、一一日の被告会社との各会談に先立ち、被告会社に対し、明確に金銭の要求をなし、右会談における主導権は、原告が握っていたこと、原告は、右会談の結果に満足をしており、右合意の内容を記載した(証拠略)の書面は、被告会社が原告を解雇する以前、被告会社に到達していること、その他種々の事情をあげ、原被告間には、前記原告主張の合意が成立したと主張するが、後記2の冒頭に掲記の各証拠、並びに、後記2に認定の事情に照らして考えると、右原告主張の事実があるからといって、原被告間に、右原告主張の合意が成立したものとは、到底認め難いのである。

2  却って、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  原告は、被告会社に雇傭された後、米国内における被告会社の最高統括責任者として、被告会社の米国内における業務の遂行に当るようになったところ、原告の入社前に、被告会社のアメリカにおける責任者をしており、原告の入社後は、原告の下で働くことになった訴外エラへ・バハダット(女性)と原告との関係がうまく行かず、原告は、右エラへが被告会社から排除されるよう希望していたが、これが実現しなかったことや、かねて、原告は、原告が、被告会社の取締役となり、かつ、被告会社の株式を与えられ、その給与も増額されること等を期待していたが、これらの期待もなかなか実現されそうになかったことなどから、原告は、昭和五一年九月一七日、突然テレックス(〈証拠略〉)で、被告会社に退職の申出をした。

(二)  これに対し、被告会社は、右原告の突然の退職の意思表示に対し、驚愕すると共に、原告に対する不信の念を抱いたが、原告が退職の意思表示をした翌九月一八日には、たまたま被告会社の募集した留学生約五〇名と、被告会社を応援しているサンケイ新聞の事業本部長及び関西テレビの取材チームが、右留学生と共に、米国に到着する予定になっていたので、被告会社では、直ちに、テレックス(〈証拠略〉)で、原告を慰留して退職を思い止まるよう説得をした。

(三)  その後、被告会社の代表者は、前記留学生らと共に、米国に赴いたが、原告は、ロスアンゼルス空港に到着した被告会社の代表者らを出迎えなかったので、被告会社代表者は、原告に対する不信の念を益々高めたところ、その後、昭和五一年九月二五日ころ、サンフランシスコのヒルトンホテルで、原告及びその妻の嘉津子と被告会社代表者とが、かなり長時間に亘って、原告の進退問題その他について話合った。その際、原告は、これまで被告会社のために努力したことや、被告会社に対する不満等を、一方的に述べ、原告の給与も月額一五〇〇ドル程度にして欲しい旨の要請をした。これに対し、被告会社代表者は、当時、原告には、多額のILS資金を預けていたが、その経理関係が明確でなく、また、米国内における原告の影響力等も考え、今直ちに原告が被告会社を退職するようなことになることは、得策でないと考え、専ら低姿勢に出て、聞き役になり、原告を慰留する態度をとっていた。

(四)  次に、原告と被告会社代表者は、その後同年一〇月一〇日及び同月一一日の両日、サンフランシスコの原告の自宅において、原告の妻嘉津子を交えて、原告の今後のことについて話し合ったところ、その際には、原告が同年九月中旬以来、被告会社の米国内における業務に現実に関与しなかったにも拘らず、被告会社の業務は、他の従業員をもって、充分遂行し得る状況になっていたところなどから、原告の立場は弱くなり、さきのヒルトンホテルにおける会談の場合にくらべ、原告の態度は、かなり低姿勢であった。

そして、右一〇月一〇日及び一一日の原被告間における話合いでは、前記ヒルトンホテルにおけるとほぼ同様の事情から、被告会社において、原告が引続き被告会社に止まるよう勧めると共に、原被告間で、今後は、原告が、それまでに行なってきた日常の実務的な業務から手を引き、より高い立場で、被告会社の米国における業務の遂行に当ることについて話合われ、概ねその趣旨の合意が成立した。しかし、それ以外に、原告主張の如き、原告の給与を従前の倍額である月額二〇〇〇ドルに増額し、しかも、これを原告が被告会社に雇傭されたときに遡って支払うというようなことや、原告が、従前被告会社のために支払っていたホテル代やバス代は、被告会社が直接日本から、その各債権者に送金して支払うこと、等については、明確な話合いがなされたことはなく、いわんや、原被告間に、右の如き内容の合意が成立したようなことは全くなく、したがって、そのような契約書等も、全く作成されたこともなかった。

(五)  なお、被告会社では、当時、被告会社代表者の給与が、日本円で、月額金三七万七〇〇〇円であって、これを、原告主張の当時の為替レート一ドル二七〇円で換算すると、月額一三九六・二ドル余であるから、原告の給与を月額二〇〇〇ドルとすれば、被告会社の代表者の給与よりも、かなり高額となるところ、当時、米国の物価が日本よりも高く、かつ、原告の給与を月額二〇〇〇ドルにするよう原告からの強い要請があったにしても、被告会社の代表者が、一従業員に過ぎない原告の給与を、自己の給与額よりも高くするようなことは、通常では、経験則上あり得ないことである。

(六)  次に、被告会社では、後述の通り、原告に多額のILS資金を預け、その預金口座から必要に応じて、取引先、その他の支払をする等の一切の事務を任かせていたところ、原告は、昭和五一年六月以降、その会計報告を被告会社に全くしなかったし、かつ、前記(二)(三)に記載の事情から、被告会社代表者は、原告を信用していなかったので、前記昭和五一年一〇月一〇日及び一一日の両日の会談で、原告に対し、昭和五一年六月以降の会計報告を求め、さらに、右原告と会談を終った後、米国内の公認会計士に、原告の経理の監督を依頼した。

しかし、原告は、その後、右公認会計士の会計監査に応ぜず、その帳簿類を提出しなかった。

(七)  しかるに、原告は、その後、一方的に、被告会社との間に、原告主張の合意が成立したとして、その内容を記載した(証拠略)の書面を作成し、これを同年一二月になって、日本の被告会社宛に送付した。

以上の事実が認められる。

3  してみれば、昭和五一年九月二五日ころと同年一〇月一〇日、一一日の原被告間の会談で、原告主張の請求原因2に記載の合意が成立したことはないというべきであるから、右合意が成立したとの原告の主張は、失当である。

三  本件解雇

次に、被告会社が、昭和五二年一月一九日、原告に対し、原告を解雇する旨の意思表示をなし、右意思表示は、同日原告に到達したことは、当事者間に争いがない。

そして、(証拠略)によれば、右解雇は、原告が、被告会社のためになすべき義務(ホテル代、バス代等の支払)を怠って、被告会社の取引先に対する信用を失墜させ、また、原告の保管する被告会社の資金を、不正に領得したこと、等を、その理由としてなされた即時解雇であることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

四  本件解雇の効力

そこで、本件解雇が有効か否かについて判断する。

1  原告のホテル代、バス代の支払義務の不履行について

(一)  米国内における被告会社の従業員の給与、留学生のためのホテル代、バス代等の諸経費については、予め原告に預託されていた資金から、原告において支払うことになっていたこと、原告は、被告会社から、昭和五一年五月以降同年九月までの間に、合計一四万四一〇〇ドルの資金を受領し、これを、アメリカ銀行サンフランシスコ本店に開設された「カール・オーバチック・リングウィスティック・ILS・USA」という名義の当座預金口座に入金保管していた(以下適宜ILS資金という。)こと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  右争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(1) 原告が、被告会社の米国における最高統括責任者となってから後、被告会社の募集した留学生等の利用したホテル代、バス代や、被告会社の従業員の給料その他の必要な経費等を支払う資金は、すでに、被告会社から、原告の管理する「アメリカ銀行サンフランシスコ本店」の「カール・オーバチック・リングウィスティック・ILS・USA」名義の預金口座(ILS資金の口座)に送金され、右送金された資金(ILS資金)のなかから、原告が、その保管する小切手を振出して、右ホテル代、バス代、給料、旅費、宿泊費、その他の経費を支払うことになっていたのであって、原告は、各取引先から、右ホテル代、バス代等の請求があったときは、その所定の期限までに、被告会社のために、これを支払う義務を負担していた。

(2) 原告は、昭和五一年五月以降同年九月までに、被告会社から前記アメリカ銀行サンフランシスコ本店のILS資金の預金口座に、合計一四万四一〇〇ドルの送金を受け、その間に、必要な経費等の支払をしたが、その預金残高(ILS資金残高)は、昭和五一年八月末日において三万二六〇五・九四ドル、同年九月末日において、二万八〇九三・六九ドル、同年一〇月末日において、二万〇一九四・七ドルであって、原告が、これを保管していた。

(3) ところで、原告は、昭和五一年七月頃から同年九月初め頃までの間に、被告会社の募集した留学生等が利用し、被告会社において支払うべきホテル代、バス代として、アンバサダーホテルから合計一万二七〇五・五八ドル、PSAホテルから三二七九・〇四ドル、ホリデーラインバス会社から四三八八・三八ドルの各支払請求を受けたところ、右各代金の支払期限はその各請求後三〇日以内の、遅くとも、昭和五一年九月末から同年一〇月初めころであって、かつ、前記ILS資金の預金口座には、右支払に充てる資金が充分あったのにもかかわらず、原告は、その支払をしなかった。

(4) その後被告会社は、原告が、右各支払をしていないことを知り、各債権者に連絡して、昭和五二年三月に至り、右各債権者に対し、直接右代金を支払った。しかし、原告が、被告会社のため、遅滞なく右ホテル代等を支払わなかったことにより、被告会社は、昭和五一年一二月ころ、アンバサダーホテルから、一時留学生の予約受付を拒絶されたことがあり、また、その後予約受付が再開された後も、代金前納を要求されるようになった。

以上の事実が認められ、(証拠略)の結果は、いずれもたやすく信用できず、他に右認足を覆えすに足りる証拠はない。

(三)  そうだとすれば、原告は、被告会社の米国における最高統括責任者として、被告会社のために行うべきホテル代、バス代等の支払手続を怠ったものというべきであり、また、原告の右義務違反は、米国内における被告会社の取引先に対する信用を失墜させたものというべきである。

(四)  もっとも、

(1) 原告は、右各債権者に対する支払期限は、一応原則的には、請求書受領後三〇日以内となっていたが、実際には、原告と右債権者との間において、毎月末日締切り、翌々月一〇日払いとする合意があったとの主張をしているが、右原告の主張事実に副う(証拠略)のうちの日本文の各記載内容、及び、原告本人尋問の結果はたやすく信用できず、他に、右原告の主張事実を認め得る証拠はない。

なお、(証拠略)によれば、原告は、各債権者からの請求書を受けとって後、二か月以上も経ってから、その支払をしていることが認められるけれども、(証拠略)に照らしてみれば、右事実から、直ちに、原告と各債権者との間に、ホテル代、バス代等の支払期限を、毎月末日締切り、翌々月の一〇日払いとする合意があったとは到底認め難い。

却って、(証拠略)によれば、アンバサダーホテル、PSAホテル、ホリデイラインバス会社に対する各ホテル代、バス代等は、遅くとも、その請求後三〇日以内に支払う約定であって、その後、右支払期限が原告主張の如く変更されたことはないこと、しかるに、原告は、右各ホテルやバス会社等から、再三、被告会社の支払うべきホテル代やバス代の請求を受けながら、これを支払わなかったので、右ホテルやバス会社は、困っていたこと、以上の事実が認められる。

したがって、右ホテル、バス代等の支払期が変更されたとの原告の主張は失当である。

(2) 次に、原告は、その手持資金のなかから、昭和五一年七月二三日、サンホセ校に対し、二万七五〇〇ドルを、同年七月二六日、ノースリッジ校に対し、二万五〇〇〇ドルを、同年八月五日、右同校に対し、五五〇〇ドルを、それぞれ立替え支払ったが、その後、被告会社は、合計三万三〇〇〇ドルを返還したのみで、ノースリッジ校に対する立替分二万五〇〇〇ドルを返還しなかったから、原告において、前記バス代、ホテル代等を支払うことができなかったと主張している。

しかしながら、(証拠略)の結果によれば、原告が、サンボセ校やノースリッジ校に支払った金員は、すべて、被告会社が原告に預託したILS資金のなかから支払ったものであって、原告自身の金を支出して支払ったものでないことが認められるところ、前述の通り、前記ILS資金の預金口座の昭和五一年八月末の残高は、三万二六〇五・四ドル、同年九月末の残高は、二万八〇九三・六九ドルであったから、右ホテル代、バス代を支払う資金は、充分にあったものというべきである。

なお、原告は、その本人尋問において、右サンホセ校及びノースリッジ校に立替え支払った金は、ホームステイプログラムに割当てられた金を、一時的に使ったものであり、かつ、前記アンバサダーホテル等に対するホテル代金は、主に、ホームステイプログラムのために使ったものであるから、その返済がない限り、ホテル代、バス代を支払うことはできないとの趣旨の供述をしているが、(証拠略)によれば、前記ILS資金の預金口座のなかから、一般のホテル代や旅費等も支払われていることが認められるのであって、この事実に、(証拠略)の結果に照らしてみれば、原告主張のノースリッジ校に対する立替金の返還がなければ、前記ホテル代やバス代を支払うことができなかったとは到底認め難いのであって、前記原告の供述は信用できないものというべきである。

(3) なお、原告は、昭和五一年一〇月一〇日及び一一日に、原被告間において、被告会社が、前記原告の立替え支払った立替金を返還しない場合には、被告会社において、直接、日本から、各債権者に送金して支払う旨の合意が成立したとの趣旨の主張をしているが、右原告の主張事実に副う(証拠略)の結果によれば、右原告主張の如き合意は、何ら成立しなかったことが認められるから、右の点に関する原告の主張も失当である。

(4) 次に、原告は、昭和五一年七月及び八月当時は、アメリカ合衆国建国二〇〇年祭にあたっていて多忙であったことや、その後同年九月には、原告が被告会社を退職するか否かの一身上の問題があったから、前記ホテル代やバス代を支払う余裕はなかったとの趣旨の供述をしているが、原告は、被告会社の米国における最高統括責任者の業務として、右ホテル代、バス代の支払事務を担当していたのであるから、原告が、右に主張するように多忙であったとか、その身分が不安定であったからといって、それが、右ホテル代やバス代の支払手続をしない正当な理由になり得るものではない。したがって右の点に関する原告の主張も失当である。

(5) 次に、原告は、被告会社との合意により、原告の昇給した月額二〇〇〇ドルと従前の給与額との差額のバックペイを受ければ、前記ホテル代を支払う資金が不足するとか、ホリデーラインバス会社、アンバサダーホテル、PSAホテルに対するバス代、ホテル代の支払の外にも、ウイリァルライオンズ・ITT分に対する支払があって、前記ILS資金の預金口座から、その全額を支払う資金がなかったと主張している。しかし、前記二に認定した通り、原被告間において、原告の給与を、その雇傭の時に遡って、月額二〇〇〇ドルにするというような合意がなされたことは全くないし、また、原告の主張するウイリアルライオンズ、ITT分に対する支払いは、原告の主張によるも、合計二〇〇〇ドルに満たず、かつ、その支払期も、必ずしも明確ではないから、前記の如き、当時のILS資金の預金残高に照らし、前記原告の主張事実をもって、前記ホリデーラインバス、アンバサダーホテル、PSAホテルに対するバス代、ホテル代の全額が全く支払えなかったものとは到底認め難い。よって、右の点に関する原告の主張も失当である。

2  原告の金銭上の不正行為について、

(一)  原告の給与は、その雇傭契約時に、毎月手取一〇〇〇ドルと定められていたことは、前記の通り、当事者間に争いがないところ、原告が、その後、昭和五一年一〇月分から同五二年一月分までの間、ILS資金から、原告の給与として従前の一〇〇〇ドルにさらに一〇〇〇ドルを加えた合計二〇〇〇ドルを引き出し、さらに同五二年一月に、同五〇年一一月から一二月分のバックペイ分として一万二〇〇〇ドルを引き出し、これを受け取ったこと、被告会社の従業員であった原告の妻嘉津子に対して、昭和五一年七月分からその給与として月額八〇〇ドルが支払われていること、原告の弟のウイリアムオーバチックに対しても、給与が支払われていたこと、以上の各事実についても、当事者間に争いがない。

(二)  ところで、原告は、昭和五一年一〇月一〇日と一一日の両日にわたり、原告と被告会社代表者との話合いにおいて、原告の給与を、その雇傭のときに遡って月額二〇〇〇ドルにする旨の合意がなされたから、原告が昭和五〇年一〇月分以降その給与としてILS資金から毎月二〇〇〇ドルを引出し、また昭和五二年一月にバックペイ分として合計一万二〇〇〇ドルを引出したことは、いずれも当然の権利であると主張する。

しかしながら、前記二に認定したとおり、昭和五一年一〇月一〇日及び一一日の原告と被告会社代表者との話合いで、右原告主張の如き合意は何ら成立したことがないから、原告の右主張は失当である。

(三)  却って、前記二に認定の事実及び前記(一)の当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、(ア)原告は、被告会社との間において、原告の給与を、その雇傭の時に遡って、月額二〇〇〇ドルとする旨の合意が成立したことはなく、しかも、昭和五一年一〇月頃以降は、被告会社の仕事をほとんどしていなかったのに、被告会社には、全く無断で、一方的に、原告の給与は、その雇傭の時に遡って、月額二〇〇〇ドルになったとして、自己の保管する被告会社のILS資金のなかから、昭和五一年一〇月以降同五二年一月まで、自己の給与として、毎月二〇〇〇ドルを引出し、また、同五二年一月末頃、昭和五〇年一一月から同五一年九月までのバックペイ分として、合計一万二〇〇〇ドル(右期間は一一カ月であるのに一二カ月と誤解して一万二〇〇〇ドルと計算)を引出したこと、(イ)さらに、被告会社の従業員であった原告の妻嘉津子の給与も、被告会社との約束では、月額三〇〇ドルであったのに、被告会社には全く無断で、昭和五一年七月から月額八〇〇ドルになったと称し、前記被告会社のILS資金から、妻嘉津子の給料として、昭和五一年七月以降同年一一月まで、毎月右八〇〇ドルを引出して、これを領得したこと、(ウ)なお、被告会社は、その後、原告を相手方として、米国内の裁判所に、原告が右不当に引出した給与分の返還ないし賠償を求める訴訟を提起したが、右訴訟において、昭和五三年(一九七八年)八月、当事者双方の互譲による合意に基づき、原告は、被告会社に対し、八二〇〇ドルを返還する趣旨の判決(一種の和解判決)がなされたこと、以上の事実が認められ、(証拠略)の結果はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(四)  してみれば、原告は、原告の保管する被告会社のILS資金から、被告会社に無断で、前記昭和五一年一〇月以降同五二年一月までの給与の増額分と称する一カ月一〇〇〇ドルの割合による合計四〇〇〇ドル、バックペイ分一万二〇〇〇ドル、昭和五一年七月以降同年一一月までの妻嘉津子の給与の増額分と称する一カ月五〇〇ドルの割合による合計二五〇〇ドル、以上合計一万八五〇〇ドルを、不正に引出してこれを領得し、被告会社に右同額の損害を与えたものというべきである。

3  なお、原告は、昭和五一年一〇月、原被告間において、原告の給与を、その雇傭の時に遡って月額二〇〇〇ドルにする等、原告主張の請求原因2に記載の如き明確な合意が成立しなかったとしても、それに近い相応の合意が成立したから、原告を解雇することは不当であると主張するが、右原告主張のような相応の合意が成立したことも、前記二に認定の諸事情に照らし、到底これを認めることができないから、右原告の主張は失当である。

4  しかして、1 2に認定の如き原告の行為は、被告会社の米国内における最高統括責任者としての義務を著しく怠り、そのために被告会社の取引先等の関係業者に対する被告会社の信用を失墜させ、また、原告が保管していた被告会社のILS資金を、その預金口座から擅に引出して、これを不当に領得したものというのであって、右は、労働基準法二〇条一項但書にいう「労働者の責に帰すべき事由」に該当するものというべきである。そうであれば、原告には、右労働基準法二〇条一項但書により、即時に解雇され得る事由があったものというべきであるから、本件即時解雇は、有効であって、原告と被告会社との間の雇庸契約は、本件解雇のなされた昭和五二年一月一九日限り適法に終了したものというべきである。

よって、本件解雇の無効確認を求め、かつ、右解雇後の昭和五二年二月以降の賃金の支払を求める請求は、いずれも、その余の点につき判断するまでもなく理由がなく、失当である。

五  出張手当について

(証拠略)の結果によれば、原被告間の雇傭契約では、出張手当は、被告会社の規定通り、別個に支払うものとされていたことが認められ、また、(証拠略)によれば、原告は、昭和五〇年一一月から同五一年八月まで被告会社の業務で何回か出張したことが窺われなくはない。

しかしながら、右出張手当に関する被告会社の規定がある旨の弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる(証拠略)の記載内容は、たやすく信用できず、他に右事実を認め得る的確な証拠はない。そして、このことと、(証拠略)によれば、原告は、その出張をした場合の旅費、宿泊費については、その都度、ILS資金のなかから支払を受けていることが認められるのに対し、出張手当については、後述の如く、昭和五六年一二月まで、五年以上もの長い間、その請求をしなかったこと等に照らして考えると、被告会社の米国内における最高統括責任者である原告について、旅費、宿泊費の外に、さらに、出張手当として、原告主張の如き金額の支払を受け得る権利があったか否かは、甚だ疑わしいものというべきである。

のみならず、仮に、右権利があったとしても、(証拠略)を総合すると、原告は、被告会社における米国の最高統括責任者として、被告会社から送金された前記ILS資金の預金口座から、原告の給料を含む米国内の被告会社の給料、取引先に対する所定の支払い、旅費、宿泊費、事務所経費、その他の経費雑費等を、必要に応じてその都度、原告自らの振出した小切手等をもって、支払っていた外、使途不明の現金勘定として相当の額を右ILS資金から引出していたこと、原告は、昭和五六年一二月二二日付の請求の趣旨拡張の申立書において、はじめて、右出張手当の請求をするに至ったものであって、それまでは(本件訴状でも)、右出張手当の請求をしたこともないことが認められるところ、これらの事実に、(証拠略)を総合すれば、原告の出張費用は、その都度ILS資金から引き出されて、決済済であると認めるのが相当であり、右認定に反する(証拠略)の結果はたやすく信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

してみれば、右主張手当の支払を求める原告の本訴請求部分も失当である。

六  原告方住宅の賃料について

原告が、昭和五〇年一一月から同五二年一月までの間、原告の住宅の一部を使用して、被告会社の仕事をしていたことは当事者間に争いがない。しかし、被告会社が原告から、原告の右住宅の一部を、賃料を支払う約定で、これを被告会社の事務所として賃借したとの事実を窺わせる(証拠略)はたやすく信用できず、他に右事実を認め得る証拠はない。却って、弁論の全趣旨によれば、原告は、自己の便宜のため、事実上、自己の住居の一部において、被告会社の仕事をしていたに過ぎないことが窺われる。

してみれば、右賃料の支払を求める原告の請求部分も、その余の点について判断するまでもなく、失当である。

七  以上のとおりであって、原告の本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担については、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 後藤勇 裁判官 千川原則雄 裁判官 小宮山茂樹)

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